カナダで同性婚をした日本人ダンサー/鈴木まど佳さんインタビュー

ライター: JobRainbow編集部
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本物の愛で結ばれるということ 〜セクシュアリティを超えて〜

渋谷区や札幌市で同性パートナーシップが認められる等、日本でも同性婚に対する法整備が注目を浴びている。アメリカでは2015年に同性婚が合法化され、世界的なビッグニュースにもなっている。そんな中、12年前に同性婚が認められたカナダで、女性として、女性の同性パートナーと結婚した日本人ダンサーがいる。それが、鈴木まど佳さんだ。

まど佳さんは2016年6月11日に、パートナーのキムさんと同性婚をした。現在は、カナダのビクトリアにあるピアソンカレッジ(人種、性別、貧富、国籍に関わらず平等であるべきという理念に基づかれている学校)という全寮制の学校で、ジェンダーグループのサポートやLGBTの生徒のケアをしながら、ダンススタジオを運営、講師としても活動している。

今でこそ幸せな結婚生活を送る二人だが、それまでの道のりでは、カミングアウトに対する葛藤や、自身のセクシュアリティに思い悩んだこともあるという。今までどんな人生を歩んできたのか、今回JobRainbow代表のほしけんはカナダのビクトリアにて直接インタビューをさせて頂いた。

鈴木まど佳
【なぜダンスが生まれたか?なぜ人は踊るのか?を探求しにダンス発祥地と呼ばれるアフリカ・南米を中心とした世界一周の旅に出る。帰国後、カンボジア政府認定事業イベントにダンサー出演。レゲエの神様ボブマーリーの孫娘ドニーシャに”革命的なダンス”と言われるなど、様々なアーティストとの共演を行う。TEDxVancouverにダンサー出演、日系スタータレントコンテストにて”最も記憶に残るパフォーマンス賞を受賞。現在、カナダでダンススタジオを運営。】

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自身のセクシュアリティとは

「幼少期に自身のセクシュアリティに気づく方が多いと言われていますが、私の場合、キムと出会うまで自分のセクシュアリティについて考えたこともありませんでした。それまでは、男性とお付き合いをしていました。」

鈴木まど佳さん

自身のセクシュアリティに気づいたのは4年前、キムさんとの出会いがきっかけだという。今でも自身が、レズビアンやバイセクシュアルといった型にはまることに違和感を覚えているそうだ。

「私はキムという素晴らしいパートナーを愛している、それだけなんです。」

世界一周の旅が出会いのきっかけ

キムさんとの最初の出会いは、「ピースボート」という世界一周クルーズの船の上。船内では定期的にイベントが開かれており、その中のテーマのひとつに「LGBT」もあったそうだ。このイベントでは実際にLGBTの当事者であるクルーズ参加者が、自主的に勉強会を開いてくれたという。

「知識が全くなかった私は、Lがレズビアン、Gがゲイなどといった基礎知識について学んでいました。キムもイベントの参加者として、私と同じように学んでいる側でした。」

二人とも自身のセクシュアリティに疑問がない、いわゆるストレート(異性愛者)だった。

「LGBTの当事者として登壇していた友人たちが、本当に身近な存在なんだと理解できた瞬間でもありました。これまで私は、同性愛に対して無意識に偏見を持っていましたが、この経験を通してLGBTに対する見方が大きく変わったんです。」

当事者が勇気をもってカミングアウトをし、それぞれのライフストーリーを語る姿をみて、非常に感動したという。

ダンスという二人の共通点

「なぜダンスが生まれたのか、なぜ人は踊るのか」を探求するため、踊りながら旅をしていたまど佳さん。

「世界のダンス表現を学ぶため」同じように旅をしていたキムさん。
二人はすぐに意気投合、仲良くなることに時間はかからなかった。

鈴木まど佳さんと同性パートナー

世界での旅を通してお互いを深く知ったものの、最初は恋愛関係ではなかった二人。恋愛に発展したきっかけは、キムさんのお母さんが母国であるカナダへの旅券の日付を間違ったことだという。

「日本からカナダに帰国するまで時間が空いてしまったので、私の家でホームステイすることを提案したんです。旅が終わる寂しさもありましたが、自然にお互い惹かれていることに気づきはじめ、その時お付き合いすることを決めました。」

最初は同性の方と付き合うことに抵抗感も少なくなかった。

「私自身、これまでストレートとして何の疑いもなく過ごしていました。キムと付き合うことを決めた当初は、葛藤していた時期もあります。カミングアウトをしている多くのLGBTの友人達に既に出会っていたものの、まさか自分が当事者になるとは思っていませんでした。私はカミングアウトしたくない、一生しないだろうと思っていました。」

旅をきっかけに、少しずつLGBTに対する考え方が変わっていく中、今まで偏見をもっていた人に対して、申し訳ないという気持ちも生まれていったという。いざ自身が同性のキムと付き合いはじめると、これまでの友人や家族にキムさんとの関係をなかなか打ち明けることができなかった。

「好きなんだもん、こんなに好きなのになぜ、こんなに辛いんだろうって。周りにはアクティビストやカミングアウトしている人はいたけど、当時はその勇気がなかった。そこに悔しさも感じていました。でも私には、離れる、別れる、という選択肢がなかったんです。」

特に、昔から自分のことを知っている人達にカミングアウトすることは難しい。それまでストレートとして、彼氏がいたこともあるため、余計に話しづらいという。

「付き合って暫くしてから、なぜか次第にふっきれるようになり、ピースボートで出会った友人にはカミングアウトができました。共に世界を旅したこともあり、私自身を受けとめてもらえる安心感のようなものを感じていたんです。逆に、これまでの友人達とは距離が空くようになってしまいました。『彼氏できた?』という何気ない会話になることが怖かったんです。」

キムさんとの出会いや、世界を旅した経験を通して、自分自身の価値観や考え方もこれまでと大きく変わっていったという。キムさんがカナダに帰国した後も、1年半近く遠距離恋愛をしながらスカイプ等で連絡を取り合っていたそうだ。

キムさんは、大学院で博士号をとるため勉強しており、まど佳さんもダンスイベントに出演するためカナダに何度か訪れていた。その時期は、バンクーバーで開催されたTEDトークにダンサーとして出演。また、数百人規模のマイケルジャクソン追悼フラッシュモブにも参加していたそうだ。

結婚当日までカミングアウトするつもりはなかった。

キムさんが博士号を取得した段階で、結婚を決めた二人。カナダという自由な土地柄を好きになったまど佳さんは、移住することを決意し、結婚式もカナダで挙げることにした。

「カミングアウトを決めたのは結婚式の当日でした。結婚式には世界を共に旅した人や、カナダで新たに知り合った人、日本の家族や友人128人もの方たちが来てくれました。結婚の誓いをする時、円形のスパイラルに沿って歩きながら入場し、参列者一人ひとりからお花を一本ずつ受け取りました。みんなが泣きながら祝福してくれた顔を見て、やっと初めてカミングアウトしようと思えたんです。」

挙式の様子

Photo by Tanabe + Photography

沢山の人から祝福してもらえていることに、結婚式を通じて改めて気づいたまど佳さん。しかし、カミングアウトを決意したのはそれだけが理由ではなかった。

「私たちは東日本大震災のあった3月11日と、アメリカ同時多発テロ事件が起きた9月11日の間に平和の日を作ろうと思い、6月11日に結婚式を挙げることを決めていました。同日、フロリダのゲイクラブで銃乱射事件が起きたことを結婚式後のニュースで知りました。」

周りの友人達も、気を遣ってこの事件について式直後のお二人にはあえて伝えないようにしていたという。

「この事件を知った時、このままじゃやっぱりダメだ、私が発信しなきゃと思い、結婚式の翌日にfacebookを通じて公の場でカミングアウトしました。」

否定される怖さもあったが、実際は700人近い人たちからのイイネと、100件のコメントによる大きな反響があり、そのどれもが二人の結婚を祝福するものだった。

「カミングアウトできず、式に呼べなかった友人たちも多くいたので、オープンになって初めて、こんなにも私の周りには理解ある人たちがいるんだと、とても嬉しかったです。」

カミングアウトは一回じゃない、結婚後も一生続くもの

不特定多数の人に対してカミングアウトしたものの、未だに「旦那さんはどんな方?」といったように男性と結婚していることを前提に質問されるそうだ。

「国際結婚ということもあり非常に興味を持たれるのですが、まさか女性と結婚しているとは誰も思わない。聞かれるたびに説明しなければならない居心地の悪さは多々感じます。それは毎回、新しい人と出会う度にずっと続いています。」

「こんなに時間が経っても、カミングアウトを直接することにはまだ慣れていないというか、緊張することもあります。旦那という言葉を使われた時はパートナーという言葉を使って返したりしています。私のfacebookを見れば同性と結婚していることはいずれわかることなので、あえて毎回伝えなくても良いかなとは思っています。」

手を繋ぐ鈴木まど佳さんと同性パートナー

4年前まではストレートとして生きてきたからこそ、世の中がまだまだLGBTに対して理解が進んでいないこと、当事者にしかわからないことが沢山あると気づいたそうだ。Photo by Tanabe + Photography

家族へのカミングアウト

「母にカミングアウトしたのは、曽祖母のお葬式の帰りでした。帰りの車で二人きりだったのもあり、そこで思い立ち、話そうと決めたんです。」

母親が運転する助手席で、いつ言おうかとすごく緊張したという。キムさんはまど佳さんの家にホームステイしていたこともあったが、母親は二人が付き合っているとは思わなかったそうだ。

「家に着く直前に、キムと付き合っていることを伝えました。その瞬間に涙が溢れ出てきて、母と一緒に泣いたのを覚えています。『人を好きになることに性別も国籍も関係ないのだから、自信を持って』と言ってくれたんですね。『誰にも言えないし、言いたくない』とも伝えると、『誰かに言う必要もないんだよ、今の気持ちを大事にしてね。』その言葉ですっと気持ちが楽になりました。」

カナダに行く直前に兄に電話でカミングアウト

「『カナダにこれから行くんだ、結婚するかもしれないんだ』と電話で言ったら、『カナダの人なの?』と聞かれ、『女の人なんだよね』と電話越しに伝えたんです。
兄の身近に同性カップルがいる話をしてくれて、『いろいろな愛の形があって良いよね』と、言ってくれました。結婚式には彼女と一緒に来てくれて感激しました。」

父親へのカミングアウト

父親との距離ができてしまってから10年以上、殆ど会話をすることがなかったという。そのため、カナダに行くことや世界一周することも話してはいなかった。

「母から、結婚するなら父にも伝えたほうがいいと言われていたんですが、その気はありませんでした。」

そんな中、母親のおちゃめなドッキリが二人の仲をぐっと近づけることになった。

「結婚式を挙げる前に、私に『お父さんがもう長く生きられないから結婚するなら手紙を書いたら?』と突然メールをしてきたんです。本当にびっくりしてしまって。もう既にいつ日本に帰るかわからないという状態で私はカナダに来てしまったので、最期に手紙だけは書こうと思いました。なぜ私が世界一周をしたのか、どんな人に出会い、どんな経験をしたのか、キムにも日本語で一筆書いてもらい、結婚することも伝えました。」

父親への手紙

結局それは、二人の距離を近づけるための、母親なりの優しい嘘であった。

「父は私の手紙に対して、『びっくりはしたが、まずはおめでとう。平和で平等な社会をつくりたいと、LGBTに関しても勉強していたんだよ。』とメッセージをくれました。そこで、今まで連絡せずにごめんねと謝ることができました。父との溝も次第に埋まっていきました。」

キムさんとの結婚が親子の絆を取り戻したきっかけになったのだ。

「『そんな娘をもって僕は幸せです』と書いてくれたことにも深く感動しました。母は受け入れてくれると思っていたけど、父はビジネス一直線のステレオタイプな人だと思い込んでいたので、本当に安心しました。」

まど佳さんの父親は元大手電機メーカー執行役員も務めていた経験があり、現在は社会貢献事業をされている。

「結婚後、日本でLGBTをテーマにした映画《ジェンダーマリアージュ》と私たちの結婚式の映像の上映会を主催すると連絡をくれました。父が積極的に日本でLGBTの理解促進のために活動してくれていることがとても嬉しかったです。」

祝福してくれる人ばかりではなかった。

「親族にカミングアウトしたとき、最初は必ずしも良い反応ばかりではなかったんです。でも少しずつ理解してくれて、最終的にはカナダへ祝福しに来てくれました。」

「カナダは2005年に同性婚が法律で認められていますが、キムの家族も同性婚ができることを知りませんでした。LGBTに寛容なイメージがあるカナダですが、知られてないこともまた事実なんです。」

最初はキムさんも家族にカミングアウトすることができず、理解を得るのには時間がかかったそうだ。

不登校の時期もあった小学校

ピアソンカレッジを拠点に活動するまど佳さんだが、小学校時代は日本の学校教育が合わずに不登校も経験していたという。

鈴木まど佳さん

「小学校はとても保守的で疑問に思うルールが多かったせいで、不登校になってしまいました。中学校も管理的で、挨拶運動と称して、毎朝ロボットのように校門の前で生徒が『おはようございます』と何度も言わされる。連帯責任としてクラス全員が校庭を走らされたり、野球バットで殴られる体罰、教師から無視されたりすることもありました。」

幼少期は内向的だったそうだが、中学に入ってからは理不尽な教育に対して、現状を打破したいという思いが強くなっていったという。

「無意味な服装のルールも沢山ありました。個性を出せずに、みんなと同じでいなければいけないことに対して常に疑問を抱いていました。ルールを作った経緯を聞いても、ルールだからとしか言われず、説明さえしてもらえませんでした。」

それでも自由な校風がある高校へ行くために、成績は常に上位をキープしながら通っていたという。

「高校は自主自律という自由な校風を選びました。その高校では『子どもの権利条約』の冊子を毎年配布されていたのですが、ちょうどそれを問題視する流れがあり、それまでの校風を支持する先生が次々に異動させられ、保守的な先生と入れ替わってしまったんです。自由な服装から制服に変わってしまうなど、これまでの校風がなくなってしまって、残念な気持ちでいっぱいでした。」

あることがきっかけで高校を転校

「高校時代にはダンサーになることを心に決めていました。周りからは、絶対になれないと否定的なことばかり言われていました。進路相談の時、将来の夢にダンサーの枠がないのを見て、この高校で学べることは何もないと思いました。」

その後は卒業資格をとるために他の高校に転校し、ダンサーとしての道を歩みはじめた。10代は今振り返っても一番苦しかった時期だったそうだ。

教育者のパートナーとカナダで活躍

現在、まど佳さんは、カナダのビクトリアでダンススタジオを運営しながら、キムさんと一緒に、ピアソンカレッジという全寮制の高校で暮らしている。

「ピアソンカレッジは世界80ヶ国以上の国から生徒が来ていて、学校内にはジェンダーグループがあります。当事者やアライの生徒たちと集まり、定期的にLGBTイベントを開催しています。イベントでは勉強会のような形でLGBTの説明もありますが、それ以上に生徒の意見に耳を傾け、当事者の生徒が自発的にライフストーリーを話せる場を大事にしています。」

「人の考えを変えるのは難しい。学校には様々な国の生徒がいて、考え方も十人十色。同性愛が犯罪になる国から来た生徒もいます。LGBTについて理解してもらいたいという気持ちもあるけれど、考えを押し付けるのではなく、まず身近な存在だということを知ってもらい、お互いに話を聞きあうことから始めています。」

押し付けるのではなく、知ってもらう、考えてもらうという姿勢を今でも貫いている。
それは不登校を経験して、学校教育に疑問を持っていた、まど佳さんだからこそできることだ。

日本のLGBTへメッセージ

私は旅をしたことで、自分の居場所は世界のどこにでも自分次第で作ることができるんだと実感しました。自分の居場所は家だけでも、学校だけでも、仕事場だけでもない。
LGBTであってもそうでなくても、居場所がないと感じるなら、今いる環境から思い切って離れてみるのもいいのかなと思います。

鈴木まど佳さんと同性パートナー

おわりに

まど佳さんの話を聞いた当初、世界的なダンサーとして活躍、同性婚をし、公の場でカミングアウト、当事者として発信もしている等、とても強くてたくましい方を想像していたJobRainbowのほしけん。しかしながら、本当は今でもカミングアウトに慣れていなくて、結婚当日までクローズドでいようと決めていたなど、等身大のまど佳さんがそこにはいた。現在は自身の不登校の時の経験や、同性婚を通じて、教育者としてもダンサーとしても活躍しているその姿に、私たち含め不安を抱えたLGBTの当事者も、非常に勇気付けられたのではないだろうか。

【ダンススタジオ】
2017年1月、カナダのビクトリアのマチョーズン村にダンススタジオ「Movement Dance Studio」を設立。

ダンスレッスンの様子


ダンスレッスンの様子Photo by Tanabe + Photography

【ブログ】
村の女の子のために作った、村でたったひとつのダンススタジオ

【スタジオHP】
Movement Dance Studio

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