モノガミーとは【異性同士の一夫一婦=あたりまえ?】
モノガミーとは、「一夫一婦制の婚姻」であり、「単婚」と表現することもあります。
この説明を聞いて、不思議に思った方も多いのではないでしょうか。
「え? 結婚は一対一で異性同士がするものに決まってるじゃん」
「なんでわざわざこんな言葉があるの?」
こういった感想を抱いた方のために、今回は「モノガミー」について解説します。
あなたの「あたりまえ」が、他の人の「あたりまえ」とは限りませんよ。
モノガミーとはどういう意味?
「結婚は一夫一婦制が”あたりまえ”だろ」と思う方は多いだろうが、実はそうともいえません。
一夫一婦制が当然とされている現在の日本では同性婚が認められておらず、その解釈をめぐって議論が白熱していますが、憲法第24条第1項において「婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として」という部分から、結婚は異性同士のものである、と捉えられています。
しかし他の国ではどうでしょう。2019年2月に台湾で同性婚を合法化する法案が閣議決定されたことは、大きな話題となりました。オランダやフランスなどヨーロッパ諸国やオーストラリア、アメリカなど同性婚が認められている国は数多く、「結婚」というものの定義が地域の社会規範や文化によって違うことは明らかです。一夫一婦制もまた、結婚の一つの形に過ぎません。
ちなみに、日本でも2019年のバレンタインデーに同性カップル13組が一斉に提訴し、新聞やニュースで大々的に報道されました。(参考:EMA日本『バレンタインデーの今日、同性婚訴訟が始まりました!』
自分たちの結婚が全ての地域に通じるわけでは決してなく、日本と違って「結婚=一夫一婦制」ではない国や文化圏も当然あります。
モノガミーじゃない婚姻にはどんなものがある?
では、モノガミー以外の婚姻とはなんでしょう。代表的なものは「一夫多妻制」でしょう。一夫多妻制とはその名の通り、一人の夫に対して複数の妻、という婚姻制度を指します。
この結婚制度をとっているのは、主にイスラーム圏の国々。イスラーム法上、1人の夫に対して4人の妻までが認められていることが背景にあります(参考:外務省「世界一周なんでもレポート」)。
逆に、少数民族においては一妻多夫制度が採られているケースもあります。モノガミーが決して「あたりまえ」でないと頭に留めておく必要がありますね。
なお、モノガミーに対しこうした3人以上での婚姻はポリガミーと呼ばれます。
では、どうして私たちはモノガミーが「あたりまえ」だと認識しがちなのでしょう。実はその根源は、西洋と深く関係があります。
どうして日本ではモノガミーが一般的?
前述した通り、そもそも日本においては結婚は一人の夫に対し一人の妻、と法律によって(現在の解釈においては)定められています。しかし、制度ではない部分で「そもそも結婚は一夫一婦制だ」と考えている人がいることは否定できません。
福岡大学准教授の鈴木隆美は、「制度」によって私たちの心理は無意識のレベルで操作されていることを指摘しています。
「制度」とは陰に陽に私たちのあり方、気のもちようすらも規定してくるもので、ある種の規範です。平たく言えば、「〜だと思わなくちゃいけない」というプレッシャーですね。それは無意識のレベルにも根を張る心理的束縛です。
鈴木隆美,『恋愛制度、束縛の2500年史』
では、日本における結婚観・制度はどのように確立されたのでしょう。
起源は、古代ローマにまで遡ることができます。
ローマ人にとって大事なのは血統。家の血が不純なものになることを防ぐために、婚外の肉体関係は原則認められていませんでした(奴隷は除く)。また、当時の結婚は政略結婚。家と家がつながる手段としても用いられており、その価値を保つためにモノガミーは前提とされていました。
そしてキリスト教世界が広がり性欲が罪とされる中で、結婚して唯一のパートナーと子供を作るためだけにする性行為が許されたのです。同性間の性行為が禁止されていた背景にもこの考えがあります。
そんな中唯一許されるのが、子供を作るためのセックスです。(中略)これは神を信ずる信徒を増やす行為なのでOK。問題はありません。しかし、快楽を貪ろうとする行為は全て罪になります。(中略)
ヨーロッパで浮気がダメといった時、その一番根源的で歴史的な理由が、このキリスト教的なヴィジョンであると言っていいかもしれません。(中略)とはいえ、性行為を全面的に禁止するのは無理ですし、子供を作らなければ社会は回りません。そこで出てきた次善の策、困った事態をなんとか収拾するのが、結婚というシステムです。これは、神によって与えられた必要悪のようなものです。従って、浮気をして、そのシステムを乱そうとする奴は、神をも畏れぬ不届きものなのです。
鈴木隆美,『恋愛制度、束縛の2500年史』
西洋におけるキリスト教の影響は計り知れません。キリストの生誕年を暦の基準としていることからもそれは明らかです。
ただ、こうした婚姻制度が確立されていく一方、西洋では結婚は政略結婚がスタンダードであったため、結婚相手は好きな相手とは限りませんでした。そこから、「恋愛感情を持つのは結婚していない相手に対して」「恋愛においては浮気こそ真の恋愛」とする価値観も生まれました。
だが、精神的な「恋愛」が高尚なものとされるにつれ、今度は形式として唯一の相手と結ばれる「結婚」と「恋愛」が結びつけられるようになり、これが現在の結婚観につながっています。
そして日本は、西洋化を進める中で、この考えをとりいれるのです。
バレようがバレまいが、浮気それ自体がいかん、という考え方は、江戸以前にはおそらく存在しなかったでしょう。この考え方は、明治以後、ヨーロッパの文明を学んで真似しようとした流れの中で広まった、とするのが妥当でしょう。
鈴木隆美,『恋愛制度、束縛の2500年史』
こうして西洋を模倣するような形で、「恋愛感情で」「唯一の異性と」結ばれることが結婚であるとしてモノガミー制度が強化されました。
複数恋愛「ポリアモリー」とは?
最近になってLGBTが認知されはじめ、「夫婦」が絶対視されることには疑問が呈されるようになってきました。しかし、考えてみると「結婚・恋愛=一対一」も私たちの社会に浸透した観念です。
これに沿わない一つの愛の形としてポリアモリーが話題となっています。相手に嘘をついて複数人と関係を持つ浮気ではなく、関係者全員の合意を得たうえで築く複数人での恋愛関係であるポリアモリーは、テレビでも大きな話題となりました。(参考:まんがいちTV)
その一方、ポリアモリーに対する
「複数の人を好きになるなんて真実の愛を知らないだけだ」
「批判されて当然」「病気だ」
といった意見が多いのも現状です。それらの声にお応えするべくポリアモリーの解説コラムを作成したので、興味を持った方はぜひご覧ください。
おわりに
モノガミーが「あたりまえ」でないことを、歴史的な経緯に沿って確認してきました。
時代・地域・文化によって、結婚は形が異なります。同性パートナーと結婚。複数の相手と結婚。「結婚」の概念が存在しない文化圏もあるでしょう。
今でこそ「LGBT」は有名になり、聞いたことのない人はきわめて少なくなったが、これもかつては「あたりまえ」の外にある存在でした。そして現在も、モノガミーが当然視されたままでは結婚する自由を手に入れられない存在がいることは、知っておく必要があるでしょう。
しかし、日本でも渋谷区をはじめ同性パートナーシップ制度を導入する自治体は増えています。また企業においても、福利厚生の対象に同性パートナーを含める動きが出てきました。
今後、日本でモノガミーが「あたりまえ」とされ続けるのか、それとも多様な結婚の中の一つの形となるのか。モノガミーの行く末から目を離せません。