LGBTであることをカミングアウトする前の準備〜友だち編〜
はじめに
自身がLGBT(レズビアン、ゲイ、バイセクシュアル、トランスジェンダーの頭文字をとった、セクシュアルマイノリティの総称)であることを信頼できる人に打ち明けることを「カミングアウト」という。
カミングアウトすることで自身のアイデンティティを隠すことなくオープンでいられるというメリットがある一方で、相手によっては拒否感を示され、関係が壊れてしまう恐れもある。カミングアウトは必ずしなければならないという性質のものではない。利点はあるが、常に危険も伴う。
たとえば、友人間でのカミングアウトは個人の距離が近いため、セクシュアリティを勝手に第三者に言いふらされてしまう「アウティング」と隣り合わせである。
2015年には都内国立大学で友人にアウティングをされた学生が転落死する痛ましい事件が起きた。
そのためもあってか、友人へのカミングアウトに関しては「する側」よりも「される側」の心構えについての記事を目にすることが多い。
そこで、ここでは「する側」の立場から友人へLGBTであることをカミングアウトする際に気を付けること、準備しておくことを紹介する。
カミングアウトとは何か、実例込みで知りたい方は
「カミングアウト」って何?~LGBT カミングアウトストーリーまとめ~
家族へカミングアウトする際の準備について知りたい方は
LGBTであることをカミングアウトする前の準備〜家族編〜
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【用語解説】アウティングとは【カミングアウトされたら、あなたはどうしますか?】
友人にカミングアウトする前に準備すること
1.相手が信頼できる人物かどうか考える
アウティングを防ぐためには、相手が十分に口が固いか考えなければならない。
また、LGBTにどれほど理解があるのかも大切だ。
これらは日頃の態度によって見極めるしかない。
当然のことだが、相手が噂話好きであったり、LGBTにまつわる差別的な冗談で笑うような人物である場合、カミングアウトをするのは避けた方が良いだろう。
2.カミングアウトの目的・理由・伝えたい内容をまとめる
カミングアウトしてどうなりたいかを考え、相手に伝えることが肝心だ。
相手にただ知っておいてほしいのか、理解してほしいのか、支援してほしいのか。
「今までと変わらず接してほしい」、「『好きな異性のタイプは?』『彼氏/彼女いるの?』といった質問はやめてほしい」など、相手に望むことをこちらから提示することで、カミングアウトされた側もこちらの要求に応じやすくなるだろう。
また、「なぜあなたには教えるのか」も知らせるべきである。相手を信頼に足る人物であると判断したから、相手との関係をより深めたいと思ったからカミングアウトするのだと伝えれば、相手の気持ちを和らげることができるかもしれない。
これらについてまとめる際、専門の機関に相談することも考えを整理する助けになる。
LGBTの相談や診断はどこですればいいの?あなたの生活をもっと暮らしやすくしてくれる施設・団体
3.同じLGBTのコミュニティに所属する
カミングアウトしたことによって、親しい友人から距離を置かれてしまうかもしれない。友人たちとの関係性が永続的に変わってしまう恐れもある。そうなれば、「自分のセクシュアリティは『異常』なのではないか」「自分は誰からも理解されないのではないか」と不安に苛まれるのは避けられないだろう。そんなときに、「自分の居場所はここだ」と思えるLGBTのコミュニティに所属しておくことはとても大切である。
ある人には受け入れられなかったとしても、ここには自分の味方をしてくれる人がいる、セクシュアリティにまつわる悩みを共有できる人がいる、という安心感が大きな心の支えになるからである。
4.カミングアウトしている範囲を明確にする
不用意に他人のセクシュアリティを第三者に話さないと心がけるのは当然だが、そのことを知らない第三者に勝手に言いふらしてしまうことが「アウティング」になる以上、誰に知らせていて誰に知らせていないのかを相手に教える必要がある。
共通の友人なら誰にでも話しているというわけではないと知らせておくことが、アウティングの予防になる。
その際、念押しとしてアウティングの危険性について確認しておくことも必要だろう。
おわりに
カミングアウトは時に命の危険にすらつながるため、相手を選ぶときは慎重でなければならない。
まず、自らが本当にカミングアウトをしたいと望んでいるのかについても考えるべきだろう。繰り返しになるが、カミングアウトはしなければならないものではない。するときは「周りがしているから」「するべきだという風潮だから」といった消極的な理由ではなく、「もっと自由に生きたいから」「ありのままの自分を知ってほしい」等の積極的な動機でありたいものだ。
カミングアウトをすることもしないことも、本人の幸せのための決断であることを筆者は望んでいる。