世界のLGBT社会運動の流れまとめ【アメリカ・中国・台湾・日本】

ライター: JobRainbow編集部
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社会運動と聞くと、どんなイメージがありますか? 一番想像しやすいものとしては、デモやパレード、集会などでしょうか。

社会運動は、何か社会に対して訴えかけたいこと・変えたいことがあって、志を同じくした人たちが集まって行うものを言います。

LGBTにまつわる社会運動も当然いくつか行われてきており、それによってLGBTの権利が回復しつつあるという歴史があります。

今回は、そんなLGBTに関する権利回復のための運動を、アメリカ・中国・台湾・日本ごとにまとめてみました。

LGBTの社会運動について全く知らないという方はもちろん、「いくつかの事件があるのは知っているけど、全体としての流れがつかめない」と悩んでいる方はぜひ最後まで読んでみてください。

【知っておくべき歴史的事件】LGBTの歴史を変えた事件 まとめ6選【日本・アメリカ】

アメリカでのLGBT社会運動

アメリカの国旗の画像

LGBTだけでなく、様々な社会運動が活発なイメージのあるアメリカ。

そのイメージ通り、アメリカでは社会運動が活発で、ゲイ解放運動やウーマン・リブなど、人権についての社会運動のほとんどがアメリカ発祥だと言っても過言ではありません。

1. ストーンウォール事件

1969年当時、アメリカでは同性間の性交渉を禁止するソドミー法が施行されていました。

その法律と、ゲイに対する偏見・警戒から、当時警察官はゲイバーなどに抜き打ち操作を行うことがしばしばありました。ゲイバー「ストーンウォール・イン」で行われた不当捜査もこのうちの一つです。

その日、バーでは人気歌手の追悼式を行っていました。大事な追悼式の最中に行われた不当捜査に、バーにいた同性愛者たちは反発します。バーにいた人たちだけではなく、外から集まってきた人々も巻き込み、大きな反乱事件となりました。

諸説ありますが、この事件を契機として、LGBT社会運動は広まっていったと言われています。

2. ゲイ・パレード

ストーンウォール事件のちょうど1年後、この事件の1週年を記念したデモやパレードが行われました。このパレードには5000人が参加したと言われています。

ゲイ・パレードはのちに世界各地に広まり、日本でも毎年4月にプライド・パレードが開催され、多くの人・企業が参加しています。

3. ゲイ以外への広まり

当時は、現在でいうゲイ(自身を男性と自認し、性的指向が男性のセクシュアリティ)・レズビアン(自身を女性と自認し、性的指向が女性のセクシュアリティ)・バイセクシュアル(両性愛者。男性・女性のどちらも恋愛感情・性愛の対象となるセクシュアリティ)を、全て一括りで「ゲイ」と呼ぶのが主流でした。

ゲイ・パレードの広まりと、女性解放運動・フェミニズムの高まりを受け、女性である「ゲイ」たちが男性「ゲイ」から独立し、レズビアン運動やフェミニズム運動を先導していったと言われます。

4. 精神障害診断マニュアルからの削除

運動の高まりを受けて、1973年、アメリカ評議会は「精神障害の診断と統計マニュアル(DSM)」から「同性愛」項目を削除しました。

つまり、「同性愛は精神病」だったのが、そうではないと改められたのです。

5. ハーヴェイ・ミルク氏

一方、1970年代は未だ同性愛は迫害され、隠れたバーや特定の地域でひっそりと生きることを余儀無くされていました。

そんな中、自身をゲイと公言する活動家・ミルク氏が、市議会議員に当選します。アメリカで初めて、ゲイを公言する政治家が誕生したのです。

しかしミルク氏は当選から1年も経たず殺されてしまいます。
>>ハーヴェイ・ミルク暗殺事件について詳しく知る

ミルク氏殺害から1年後の1979年、初めて国家規模のプライド・マーチが行われたと言います。

6. 現在まで

1980年代になると同性愛とHIVの関係が問題となり、またLGBTが前面に押し出されるほどそれを嫌悪する人たちも増えました。

1993年には軍隊内での同性愛を禁じるなど、LGBTに関する動きは、進んだら戻り、また進み、を繰り返してきました。

現代では、LGBTという概念の理解が進み、有名歌手や俳優・女優も、支援の姿勢を示すため、ライブなどの活動を行っています。

また、NY警察が50年前のストーンウォール事件での対応は差別に基づくものであったと謝罪したことも話題になるなど、周りの反応は大きく変わってきています。

中国でのLGBT社会運動

中国の国旗の画像

では、お隣・中国はどうでしょうか。

中国のLGBT運動も、独特の歴史を歩んできました。

1. 同性愛の病理化

中国は根強い儒教国家です。儒教は親子・兄弟の「血」を重要視する宗教であるため、「血」、つまり子孫を繋げない同性愛は強く嫌悪されてきました。

儒教からくる同性愛に対しての強い差別意識からか、1980年代に同性愛は病気、犯罪であると認定されました。

中国のLGBT運動は、それに反発するように起こったと言えます。

中国のLGBT運動が本格化するのは1990年代ですが、それまでにも、中国で初めて性別適合手術が行われたり、レズビアン&ゲイ映画祭が開催されたりと、1980年代からすでに運動は始まっていました。

2. フェミニストとの合流

中国でLGBT運動が盛んになったのは、1995年、北京で行われた世界女性会議・NGOフォーラムがきっかけと言われています。

この会議に参加した人たちが、それぞれ自分たちのレズビアングループやフェミニズムグループを形成し、やがて大きな運動に繋がりました。

3. 運動の拡大

1990年代、同性愛を禁じる罪が撤廃され、2000年に入ると、脱病理化されます。

その間にも、LGBTの人たちが出会うための掲示板が作られたり、当事者たちが公で発言するようになったりと、徐々にLGBTの可視化が進みました。

その後、2009年には上海でLGBTパレードが行われ、2013年には長沙でも開催されるなど運動は拡大していきます。単なる「LGBT当事者団体」ではなく「LGBTのDV」「LGBTと学校」など、組織される団体も多様化しました。

4. バックラッシュ

しかし、一方で、規制も厳しくなりました。

先述したLGBTパレードの主催者はその後拘留されてしまいますし、フェミニストの逮捕、メディアの運動に対する報道規制など、現在でもバックラッシュが激しく起きています。

中国でLGBT運動が道半ばと言われるのはバックラッシュが原因です。

現在でも中国では同性愛などに対する偏見が根強く残っています。ゲイの90%は異性愛者の女性と結婚し、LGBTのカミングアウト率はたった5%に止まるとも言われています

ただ、その中でも活動を続けたり、抗議を続ける人たちがいることを忘れてはいけません。

台湾でのLGBT社会運動

台湾の国旗の画像

最近同性婚が認められるようになったことで話題の台湾。日本と中国にほど近い場所にありますが、LGBT運動に関してはお隣の二国と比べかなり先進的です。

1. 厳戒令下の台湾

台湾は1987年まで戒厳令が敷かれていました。閉塞的な雰囲気の中、LGBT当事者たちも息をひそめるように生きてきました。

実際に、1987年にゲイの祁家威さんが同性婚を求めて立法府に請願するも、「同性愛は公序良俗に反する」として棄却されています。

2. 台湾の民主化

しかし、1990年代に台湾の厳戒令は解除され、民主化が達成されます。それに伴い、女性解放運動や、セクシュアル・マイノリティ人権運動が活発になり始めました。

大学でもゲイサークル、レズビアンサークルができたり、2003年には台湾初のプライドパレードが開催されるなど、急速に運動が活発化しました。

3. 素早い立法

このような状況を受け、マイノリティの権利を守る法律が次々と成立しました。

2001年には就職における平等を保障する「性別工作平等法」の原型である「両性工作平等法」が成立。その後、教育における平等を保障する「性別教育平等法」などが成立します。

日本でも男女雇用機会均等法や女性活躍推進法がありますが、台湾は法律の対象を性別で限定していません。すべての被雇用者が保護される点に、台湾のジェンダーへの意識の高さが伺えます。

4. 同性婚成立への動き

同性婚の成立への動きも、2000年代初頭から始まっていました。

2001年と2006年の民進党政権時代、立法には至らなかったものの、同性婚を盛り込んだ法案が提出されています。

2013年に、祁家威さんが再び同性婚の婚姻届を役所に提出するも、不受理となり、それをきっかけとして彼は大法官(憲法の解釈権を持つ裁判官)に憲法解釈を要求します。

そうして、大法官は2017年、「同性同士の結婚を認めない民法は違憲」との判断を下しました。

しかし、その後行われた国民投票では、同性婚反対派が多数を占めてしまいました。そのため、同性婚は民放の改正ではなく、特別法の設置によって法制化されることとなりました。

こうして、2019年5月24日、特別法は成立し、同性婚が法制化されました。

台湾は、こうしてみるとかなり先進的だという印象を持ちますが、一方で国民投票の大半は同性婚に反対していたり、いじめで自殺する当事者が後を絶たなかったりという面もあります。

そんな中で同性婚が採択されたのは、当事者たち、応援者たちの戦略的な運動にあると言えます。日本や中国も、台湾から学ぶことが多くあるのではないでしょうか。

日本でのLGBT社会運動

日本の国旗がはためている画像

では、日本におけるLGBT運動について見てみましょう。

1. 東京レインボープライド

日本でのLGBT運動といえば、東京プライドパレードを思い浮かべる方がほとんどではないでしょうか。

東京でのプライドパレードは、1994年に初めて開催され、それから紆余曲折あるものの、主催団体が設立してからは毎年安定して行われています。

現在では当事者たちだけでなく、大手銀行や郵便局、いわゆる大企業と呼ばれる企業もスポンサーとして参加するまでになり、規模はかなり大きくなっています。

2. 日本のLGBT運動は少ない……?

皆さんは、東京プライドパレード以外にLGBT関連の運動は何か思い浮かびますか?

ほとんどの方はあまり思いつかないと思います。

しかし、実はレインボーパレードは、青森から九州、沖縄に至るまで、日本各地で開催されています

2019年の8月下旬から9月にかけては、四国の丸亀で中国・四国地方初のレインボーパレードが開催されました

それでも、あまり東京以外のパレードは馴染みがなかったり、そもそもパレード自体あることを知らない人は大勢います。せっかく広い地域で行われているのに勿体無いことです。

3. 日本のLGBT運動があまり活発でないと言われる理由

台湾やアメリカなど、他の地域に比べて、日本はLGBT運動があまり活発ではないと言われます。

その理由としては、「日本は昔から男色・蔭間などがおり、同性愛に寛容だから」という点がよく挙げられます。

しかし、本当にそうでしょうか。

明治大学教授でゲイを公表している鈴木賢先生は、それに真っ向から反論しています。

まず日本はキリスト教等同性愛を禁じる宗教が根付かなかったという背景があり、同性愛を禁じる法律が作られませんでした。

しかしそれは裏を返せば、LGBTの人たちがよくも悪くも無視されていることだと鈴木先生は指摘します。つまり、男色など男性同士の性行為について寛容だっただけで、LGBT当事者たちという「人間の集まり」そのものについては無視してきただけだったのです。

このような背景もあり、明確に同性愛を禁じる法律が存在し、それに反対する運動が起こせたアメリカ・中国と異なり、日本では社会運動が起こしづらかったと言えるでしょう。

おわりに

アメリカ・中国・台湾・日本と、何かと接点のある4国でのLGBT運動を概観しました。

それぞれの国ならではの困難がありますが、全体として前に進んできていることがわかるのではないでしょうか。

他の国の状況を知ることで、「こんなにたくさん活動している人がいるんだ」と嬉しくなりますね。

最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

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