LGBTへの配慮は「特別扱い」?

ライター: ぐらし
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LGBT(レズビアン、ゲイ、バイセクシュアル、トランスジェンダーの頭文字をとった、セクシュアルマイノリティの総称)の認知度は以前に比べて上がっています。それに伴って、今までは注目されてこなかったLGBTや支援者の声が社会を動かすことも増えてきました。

それらの社会変革について、「LGBTへの配慮は特別扱い」「LGBTへの支援はやりすぎである」「LGBTへの配慮は逆差別である」との反対意見も目にします。去年、杉田水脈議員が『新潮45』へ寄せた「「LGBT」支援の度が過ぎる」という論稿が炎上したことを覚えている方も多いでしょう。
(参考:https://news.livedoor.com/article/detail/15035181/

しかし、本当にLGBTへの配慮は「やりすぎ」で「特別扱い」なのでしょうか? 結論から述べると、LGBTへの配慮は「やりすぎ」でも「特別扱い」でもないのです。この記事では、「LGBTへの配慮は「特別扱い」である」という誤解を、ケース別に解いていきたいと思います。

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LGBTに関する問題発言をした議員・カミングアウトしている議員

表現の面から

テレビ

近年、LGBTの存在が認知されてきたことにより、今までは見過ごされてきた差別的な表現に批判が集まったり、規制されたりするようになってきました。

たとえば、去年9月『とんねるずのみなさんのおかげでした 30周年記念SP』に「保毛尾田保毛男」というゲイ(自身を男性と自認し、性的指向が男性のセクシュアリティ)を戯画的に描いたキャラクターが登場し、視聴者やLGBT関連団体から苦情が殺到し、フジテレビの宮内正喜社長が定例会見で謝罪するという件がありました。

「保毛尾田保毛男」は80~90年代は番組の人気キャラクターという位置にいたようです。そこで、LGBTへの配慮を「やりすぎだ」と感じている人々からは「今まではこのような表現にいちいち目くじらを立てる人はいなかった。LGBTへの配慮によって「表現の自由」が抑圧されている」という声が上がっています。

しかし、上記の意見に賛同することはできません。

なぜなら「今まで」の差別的な表現によって強化されてきたLGBTへの偏見があり、傷つく当事者が存在したからです。

「年上のゲイの知人は、自身のセクシュアリティに悩んでいたとき、最初に見た同性愛のキャラクターが保毛尾田保毛男で絶望したと言っていた。
当時は今よりももっと声をあげにくかったのだろうと想像する。保毛尾田保毛男がテレビの中で同性愛者をネタにして、面白おかしく振る舞い、周りもそれを見て笑う。テレビを見ていた人たちは、次の日、学校などで保毛尾田保毛男のマネをして「ホモ」「きもい」と笑っていたのではないだろうか。」

(「保毛尾田保毛男」という負の遺産が2017年に復活してしまった

『保毛尾田保毛男」という負の遺産が2017年に復活してしまった』https://www.huffingtonpost.jp/soushi-matsuoka/fuji-tv_a_23226772/

たくさんの人が視聴する人気のTV番組が「LGBTは笑いものにしていい」というメッセージを発信することの弊害は計り知れません。

ここで言われる「表現の自由」の内実は、「差別する自由」とも言い換えられるのではないでしょうか。そして、そのようなものを認めない姿勢が、世の中に少しずつですができているのだと思います。

設備の面から

ロッカー

LGBTの方は周囲の人と同じようにトイレや更衣室を利用することができない場合があります。

トランスジェンダー(身体的性と自認する性が一致しないセクシュアリティ)やXジェンダー(自身の性自認を男性or女性のどちらか一方に定めないセクシュアリティ)の方がトイレで感じるストレスには、「入るときに周囲の視線が気になる」「トイレに入る際周囲から注意される、指摘される」「男女別のトイレしかなく選択に困る」などがあります。

筆者はサークルの合宿の幹事を務めた際、トランスジェンダーの方から「入浴の時間に配慮してほしい」という要望が寄せられ、言われるまでそこに思い至らなかったことを反省した経験があります。

現在の標準である男性用トイレ、女性用トイレという区分は、数が多いからという理由で「特別に」「シスジェンダー(身体的性と自認する性が一致するセクシュアリティ)向け」になっているだけだと言うこともできます。トランスジェンダーやXジェンダーの方が自分のセクシュアリティに合ったトイレや、更衣室を利用したいという要望に応えることを「特別扱い」であるということはできません。

何不自由なく使える人がいる一方で、あるセクシュアリティの人は常に苦痛を感じながら使用しなければならない、という状況は是正されるべきであり、それがトイレや更衣室のような日常生活に密着した設備であればなおさらのことです。

「だれでもトイレ」や、個室の更衣室、性別ではなく時間帯で利用者を限定する更衣室等の設備が整っているかどうかを見れば、そこが多様な人に開かれた場であるかどうかがわかるでしょう。

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財政の面から

国会

前述した杉田議員の例がこれに当てはまります。杉田議員はLGBT支援に税金を使わないとする理由を「子供をつくらない,つまり『生産性』がない」からとしています。

「生産性」によって支援する対象を選別するという主張はただちにあらゆるマイノリティへの差別につながる考えなので、認められません。憲法13条では「全て国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大限の尊重を必要とする。」と定められています。子供をつくる人もつくらない人も、ゲイの人もレズビアン(自身を女性と自認し、性的指向が女性のセクシュアリティ)の人もバイセクシュアル(両性愛者。男性・女性のどちらも恋愛感情・性愛の対象となるセクシュアリティ)の人もトランスジェンダーの人も、その他どんなセクシュアリティを持つ人であろうと、憲法の下で尊重されなければなりません。

また、現状LGBTは婚姻制度などいくつかの点ではっきりと差別されており、この状況は憲法14条「すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない」に反しています。国がするべきことは、現状存在する差別を解消することであり、「「LGBT」支援の度が過ぎる」などと糾弾することではありません。

国会議員という立場にある人間がセクシュアリティによって差別するような物言いをすることなどもってのほかだと言わなければなりません。

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おまけ、それでもLGBTの主張は「わがまま」だと思ってしまう人のために

頭を抱えて悩む人

ここまで私たちは、LGBTへの配慮は「特別扱い」でも「やりすぎ」でもない、ということを見てきました。しかし、それでも「LGBTは自分たちの権利を主張するばかりで「わがまま」だ、押しつけがましい」と思う人もいるかもしれません。

社会学者・富永京子『みんなの「わがまま」入門』は、マイノリティの社会運動を大胆にも「わがまま」になぞらえながら、その「わがまま」こそが社会を住みやすい場所へと作り変えてきたのだと教えてくれる本です。

富永さんは、学校の教室を例にとって「自分と違う立場にある人の背景を思いやること」を促します。

例えば、授業中に寝ている生徒や、学校に制服を着てこない生徒がいたら、周囲の生徒は「自分は寝ていないのにずるい」「自分は制服を着ているのに、あいつはわがままだ」と思うかもしれません。しかし、どうしても寝てしまう生徒は家庭に事情を抱えていて自分で学費を稼ぐために夜遅くまでアルバイトをしているのかもしれません。私服で登校している生徒は、家庭が貧困で制服を買うお金がないのかもしれません。もしも制服を用意できないために生徒が校内に入ることができないというような事態が起きてしまうならば、その生徒に責めを負わせるのではなく周囲の環境——ここで言う「学校」、つまり「社会」——を変える必要があるでしょう。電通ダイバーシティ・ラボの調査によれば、日本が30人の教室だとしたらLGBTの人は3人いるとされています。LGBTをネタにした差別的な表現や、男女どちらかしか選べないトイレ等の設備は、日々30人のうちの3人を傷つけ、苦しい思いを強いているのです。

そして、「その「わがまま」が生まれた背景や経緯をひもといてみると、「わがまま」は自分のみならず、同じように「ふつう」に縛られて、その底に隠れていた人々を救う力にもなるはず」だと富永さんは言います。例えば、シスジェンダーの男性でも男子トイレのあり方(いわゆる「朝顔便器」が仕切りも何もなく並んでいる状態)に心理的負担を感じている人は一定数いるようです。そのような人たちも「誰でもトイレ」があることによって楽になるのだとすれば、その点においてトランスジェンダーやXジェンダーの人たちと連帯することができるのではないでしょうか。マイノリティだからと遠巻きにするのではなく、生きやすい社会を作るために共に戦うことができるのです。

おわりに

いかがでしたでしょうか。

この記事で見てきたLGBTに関する心ない意見の背景には「マイノリティへの視線の冷たさ」が共通していると感じます。

しかし、LGBTに冷たい視線を送る人々も、セクシュアリティに関してはマジョリティでも違う側面から見ればマイノリティであったり、怪我や病気によってある日突然マイノリティになったりします。差別は決して他人事ではないのです。

もしも自分がマイノリティとなったとき、つらい境遇にある人をさらに追い詰めるような社会であるよりは、助け合い、少しずつでも差別の解消に向けて声を上げることができる社会である方が良いことは疑いようがありません。

私たちは、協力してすべての人に開かれた社会を作っていく必要があるでしょう。

参考文献

杉田水脈氏論稿『「LGBT』支援の度が過ぎる」に対する抗議声明

富永京子『みんなの「わがまま」入門』(左右社、2019年)

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