「どんな形でも愛があれば子供達の未来は明るい」サンフランシスコで暮らすゲイファミリーにインタビュー

ライター: Kaana
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本記事ライターの私(Kaana)はアメリカのサンフランシスコへ1年留学していた経験があります。

「あなたのホストファミリーはゲイカップルですがよろしいですか?」

私のホスト先を決めた留学斡旋団体からの電話は今でも忘れられません。この電話が、当時LGBTレズビアンゲイバイセクシュアルトランスジェンダーの頭文字からなる、セクシュアルマイノリティの総称)のLの字も知らなかったような私にとって、LGBTについて深く考えるきっかけとなったのだと思います。

留学から5年ほどが経ち、私はサンフランシスコに1ヶ月帰って来ました。

今回は当時の私を1年間受け入れてくれた、サンフランシスコで暮らすLopezjones(ロペズジョーンズ)家に普段の暮らしや子ども達についてなど、様々なことを聞いてみました。

Lopezjones家

家族構成

Lopezjones家
  • Enrique(エンリケ、写真右)
    現在37歳。メキシコから移住して来た家族を持ち、趣味は絵を描くこと、料理。
  • Jason(ジェイソン、写真左)
    現在47歳。料理や体を動かすことが大好きで、朝は専らジムに通い詰めている。
  • Ada & Navi(アダ&ナビ、写真右手前/写真中央)
    現在10歳。双子の女の子と男の子で、現在はイタリア語の小学校に通っている。
  • Lucy(ルーシー)
    彼らが飼うシャイな黒猫。猫に嫌われる傾向にある今回のインタビュアーが撫でても逃げない。
黒猫のLucy

Lopezjones家の暮らし

年に数カ国を旅するほどの旅行好きなLopezjones家。子ども達はイタリア語の小学校に通い、英語・スペイン語・イタリア語を理解できます。Jasonは不動産業・塗装業を実家で経営しており、Enriqueは主に子ども達と一緒に過ごし、休日になると家族みんなでハイキングをしたり、キャンプをしたり、近所の人を食事に招いたりと非常にアクティブでオープンな家族です。

そもそもサンフランシスコはどんな街なのか?

世界中の人々が一攫千金を夢見て海を渡ったゴールドラッシュ以来、サンフランシスコは現在までに多くの移民を受け入れ、現在もサンフランシスコの人口の1/3は国外出身の人で占められています。

サンフランシスコは移民の街として知られるだけではなく、長きにわたりゲイの街としても世界中に知られており、1964年にはアメリカの雑誌「LIFE」にて “Gay Capital of America(アメリカにおけるゲイの首都)”と名付けられたほどでした。

サンフランシスコのゲイカルチャーを牽引してきた有名な地区として、カストロ地区という場所があります。カストロ通り沿いは今でも町中が虹色の旗で飾られ、多くのゲイバーやLGBTに関するNPO法人、LGBT資料館などが軒を連ねています。

民族・セクシュアリティ・文化においてアメリカの中でも屈指の多様性を持つサンフランシスコでの暮らしは非常に興味深く、今回はそのような点も含めてLopezjones家にリアルなライフスタイルを伺います。

サンフランシスコとLGBTについて詳しく知りたい方は
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二人の出会い

Q:そもそも、二人はどうやって出会ったの?

E(エンリケ):当時とても人気だった、カストロ地区にあるダンスバーで出会ったよ。僕は友達の誕生日をそこで祝っていたんだ。

J(ジェイソン):僕もその日は友達の誕生日を祝って飲み歩いていたのだけど、僕だけ踊り足りなくてね。友達がみんな帰って、一人でフロアで踊っていたら近くで踊っているエンリケと目が合ったんだ。彼はキュートだったしとてもセクシーだった。

J:それから二人でバーが閉まるまでずっと踊って、音がなくなってからやっとお互いに挨拶したよ。「やぁ」ってね(笑)

E:その日はそれで別れたけど、次の日電話をしたんだ。そこからデートに行き始めたかな。

Q:付き合ってどれくらいで婚約したの?

E:二年くらいかな?

J:僕がプロポーズしたよ。でも2006年の当時、カリフォルニアでの同性婚はできなかったんだ。だから、「いつかできたら結婚しようね。」みたいなそんな感じだったな。

Q:結婚の決め手は何だったの?

E:婚約する前に、お互いの求める将来を確認し合っていたんだ。僕もJasonもいつかは誰かと結婚したいと思っていたし、そしてお互いに子どもも欲しいと思っていたんだ。だから「よし、この人なら結婚できる」と思ったよ

J:何よりとても愛し合っていたからね!

Q:あと、Lopezjonesってアメリカでは珍しい苗字だよね。

E:Lopezはもともと僕の苗字、JonesはJasonの苗字なんだ。結婚してから2つの苗字を名乗る人はたくさんいるけど(例:Enrique Lopez Jones)合体させて新しい苗字を作ってしまった人には出会ったことがないね。

J:2つの苗字を名乗ることはゲイカップルの多くがやることだけど、苗字を変えたくない女性もこの方法を用いる人が増えてきたと思う。

Q:なぜ、2つを名乗るのではなく、1つにまとめたの?

E:子ども達を混乱させたくなかったし、みんなで同じ苗字をシェアしたかったんだ。そういうことなら新しい苗字を作ってしまおうって、それだけさ。

アメリカでの同性婚

Q:実際に二人が結婚できたのはいつなの?

E:2008年にカリフォルニアで6ヶ月だけ、同性婚ができた時があったんだ。その時に「よし、今だ!」って結婚したよ。

J:2008年の5月に州の最高裁判所が、同性婚ができないのは違憲だと判断したんだ。そこで一度同性婚は合法化されてね。でもその半年後の2008年11月に投票があって、カリフォルニア州憲法そのものが同性婚を禁止する内容に変えられてしまったんだよ。その投票があることはみんな知っていたから、2008年5月から投票までの6ヶ月間の間は多くのゲイカップルやレズビアンカップルが一気に結婚したね。

カリフォルニアにおける同性婚合法化までの流れ

2008年5月      カリフォルニア州最高裁が同性婚禁じる法律に違憲判決

2008年11月        大統領選と共に結婚を男女に限るようにする「提案8号」が住民投票にかけられ再び同性婚が禁止

2010年1月          同性婚を違法とみなす州法の違憲性をめぐる審理が開始

2013年6月          カリフォルニア州最高裁が同性婚を禁止していた法律が合衆国憲法に違反するとの判決を下し、同性婚が合法化

→この流れは映画『ジェンダー・マリアージュ 〜全米を揺るがした同性婚裁版〜(原題:the Case Against 8)』でも描かれているのでぜひチェックして見てください

Q:結婚することに対して二人の家族はどんな反応だったの?

J:婚約した時はとても喜んでいたし、楽しみにしていたよ。家族はみんなEnriqueのこと大好きだったからね。結婚できた時はさらに喜んでくれたよ。

E:僕の場合、姉妹は喜んでくれたけど、母は中立って感じだったかな。「ふーん。」って感じで、「法律上は違法なことではないから、いいよ。」といった様子だったと思う。父は快く受け入れてくれなかったけど、二人とも僕たちが子どもを持つことになって、やっと心から祝ってくれたよ。僕の両親にとってはそれが一番の心配だったんだ。メキシコからアメリカにやってきた家族だし、僕が唯一の息子だったからね。

カミングアウトについて

Q:そもそもカミングアウトした時、家族はどう思っていたの?

E:大学生の時に、母にしたよ。でも最初は「女の子と付き合ったことがないんだから、自分がゲイだとまだわからないじゃない。」と言われた。様子を見ようと諭されたよ。父にはその時はまだ言えなかったな。父にカミングアウトした時も、初めは「そんなこと信じたくないし、この話はもう終わりだ。」って言われてしまったよ。

J:僕がカミングアウトしたのは24歳の時で、とにかく母がものすごく驚いていたかな。それまでは女の子とデートしていたからね。しばらくは僕がゲイとして生きることで辛い思いをするんじゃないかって心配していたよ。父は、最初の頃は僕にゲイであることを隠して欲しがっていた。それが母と同じように僕のことが心配からだったのか、ゲイである僕のことを受け入れられなくてだったのか、両方なのかは今もわからないけれど、僕がゲイだということをこれ以上隠すつもりはないんだって時間をかけて伝えたら、少しずつ理解してくれたよ。

E:僕は女の子と付き合ったことはないけど、両親もまさか僕がゲイだなんて思っていなかったと思うな。メキシコにはゲイをタブー視して、そんなに話したがらない風潮もあって、二人ともゲイの文化について全然知らなかったからね。

ゲイカップルがアメリカで子どもを持つこと

Q:そもそもアメリカの同性カップルが子どもを授かるには、どんな方法があるの?

J:大体は代理出産・養子・異性の友達に頼むの3種類かな。

E:養子は実の母親の存在がどうしても大きくなってしまって、それは様々な問題を生む可能性があったから僕たちにとってハードルが高かった。異性の友達に頼むことは「Co-parenting(コペアレンティング)」とも呼ぶんだけど、これも子供を作り育てるために様々な手段で他の人と大きく関わらなくてはいけなくて、それはときに問題を生むかもしれなかったから代理出産を選んだんだ。

Co-parenting(コペアレンティング)とは

コペアレンティングとは、父親・母親が同等に育児に関わることを言う場合もありますが、今回の場合はゲイカップルとレズビアンカップル同士で子どもを産み、育てることや、同性カップルとヘテロセクシュアルの友人で子どもを産み、育てることの意味を指します。

現在アメリカでは個人のライフスタイルの多様化から、同性愛カップルに限らず独身男性・女性同士などでもコペアレンティングを行なっている家庭もあり、子どもを授かる方法は性交渉・自宅で性交渉をせずに精子を注入する方法、医療機関での人工授精など様々な方法があります。

しかし、お互いの権利・経済上の理由から、育児中に何か生じた際、複雑な問題を生むリスクは残っており、十分な相談や契約などの準備のもと決断をするのが望ましいとされています。

Q:どのようにしてAdaとNaviは生まれたの?

E:ロサンゼルスに代理出産をサポートしてくれる会社として有名な、「Growing Generations(グローイング・ジェネレーションズ)」という会社があるんだ。まずここに申し込んだよ。あとこの時、僕はデロイトで働いていたんだけど、人工授精をする異性・同性カップル両方に彼らは補助金を出していたんだ。だからその制度を僕も利用したよ。

J:Growing Generationsは特に同性カップルへのサービスに力を入れている会社でね。実際に動き出すまでに大体1年くらいかかったかな?

E:彼らは僕らと代理母をマッチングしてくれて、人工授精のための病院を手配したり、法的手続きを行うための書類準備や弁護士手配までしてくれるんだ。卵子提供者と代理母とは別の人だから、卵子提供者の探し方も教えてくれたよ。

J:卵子提供者は匿名なんだ。写真や身長、体重、家族の医療履歴や出身は見られるんだけど、僕はイタリアから来た家族だし、Enriqueはメキシコから来た家族だから、メキシコとイタリアのハーフの女性の卵子をもらったよ。逆に、代理母とは何度も会ったかな。とても良い人だったし、子ども達がお腹にいる時に僕たちの結婚式にも来てくれたよ。

E:卵子提供者と代理母が決まってからはとてもスムーズだった。これはラッキーなことなんだ。卵子提供者と代理母が2ヶ月くらいかけて人工授精や妊娠の準備をして、僕たちそれぞれの精子も準備して、そしたらなんと双子を妊娠したんだ。一人はJasonと、一人は僕と生物的に繋がった子だった。誰と繋がったどんな子が何人欲しいなんて希望はなかったけど、ただその事実を純粋に幸せに感じたね。

Q. 子どもたちは現在10歳になるけど、自分たちの生まれ方やJasonとEnriqueの関係性についてはどのように理解しているの?

E:代理母の人が、いわゆる自分たちの「お母さん」ではないことは理解しているよ。ただ自分たちをお腹に入れてくれていてくれた人として認識している。

J:生物学的な繋がりの話は、聞かれた時に簡単に説明したことはあるけど、そんなに理解してないみたいだったな。多分今はまだそこにあまり興味がないんだ。

E:いつでも何も隠すつもりはないから、子どもたちに何か聞かれたら必ず答えることにしているよ。

Q. いつか2人が、子どもたちとJasonとEnriqueとの生物学的な繋がりを理解した時のことは心配になったりする?

J:しないかな。

E:うーん、僕もしないかな。でも、二人が驚くかもしれないとは思う。「なるほど。」ってね。でも同時に、そういう具体的な話に興味が出る頃には、二人も必ず理解できるようになっているとも思うんだ。だから心配はないよ。

Q. 2人にいわゆる「お母さん」がいないことは心配になる?

E:それはないよ。僕たち2人は子どもたちを心から愛しているからそれで大丈夫だと思うんだ。

J:世の中には、お母さんであっても決して理想の親とは言えない人もたくさんいるしね。

E:それもそうだね。それに、今はお父さん1人だったり、お母さん2人だったり、お父さんとお母さんだったり色々な家族な形があるでしょ?でも僕は、どんな形であっても、愛情があれば子どもたちの未来はとても明るいと思っているよ。

ゲイファミリーとして暮らす

Q.:ゲイファミリーとして暮らすことでなにか弊害を抱えたことはある?

E:ないかな。サンフランシスコはすごくリベラルな環境だからね。アメリカの大きな都市はほとんどが同じような環境だと思うよ。

J:場所も関係あるかもしれないけれど、家族も友達もとても協力的なんだ。僕たちは人に恵まれているとも言えるね。単純に家族や友達を支える気持ちって、自分が何を信じているかに関わらず誰にでもあると思わない?だからきっと都市部で暮らしていなくても、思ってくれる人が周りにたくさんいて、幸せに暮らせている人々はたくさんいるはずだよ。それでももしコミュニティーに受け入れてもらえないような場合は、みんな大都市に来るんだ。

E:弊害というほどではないけど、強いて言うとすれば、メキシコの税関で「その子たちのお母さんはどこですか?」と聞かれた思い出があるな。僕の父がそこで「彼らにはお母さんはいないんだ!」って言ってくれたよ。その人は別にゲイだからといって聞いたわけではなくて、単に子どもたちの身の安全を心配して聞いただけなんだけどね。

J:僕たちが誘拐犯だったら大変だしね(笑)

J:僕たちは旅行をよくするんだけど、いろんな国で出会った人に「僕たちはゲイカップルの家族なんだ。」っていう話をすると、本当にみんな口を揃えて「それって本当に最高だね!」って言ってくれるんだ。こればっかりはいつも驚かされるし、とても嬉しいことだよ。

Q:なるほど。2人の話はとても興味深かったし、なによりLopezjones家の素敵な話を聞けて私も嬉しくなれたよ。今日はありがとう。

E:いつでもなんでも聞いて。今は自分の名前を検索しても何もでないんだ。記事になるのが楽しみだよ(笑)

J:僕たちには隠し事なんてないからね!

おわりに

今回彼らの話を聞くことで感じたことは非常に大きかったです。カリフォルニアでは同性婚や同性カップルが子どもを授かるための制度がいかに充実しているのか、人々は充実した生活を勝ち取るまでどのように歩んできたのか、生の歴史を聞ける貴重なインタビューだったと思います。

協力的な制度、周囲の人からの支え、そして何より、Lopezjones家の底抜けの明るさと前向きな姿。今の彼らの幸せのために、欠かせるものはひとつもなかったと思います。

改めて、この家族と出会えたことを幸せに思い、日本もいつか必ずこのような未来がくると勇気をもらいました。これは私が5年前にこの家族からもらった勇気と同じものです。

あれから5年、何も知らなかった私が機会に恵まれ、今こうしてJobRainbowのライターとして活動できているのも、この家族の幸せを確かなものとして目にしていて、それをより多くの世界に広げたいと心から願っているからです。

この場を借りて、Lopezjones家には心から感謝致します。

日本にはまだまだ課題は山積みですが、できることから始めましょう。今回のインタビューが少しでもみなさんの幸せに繋がることを願っています。

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