性的指向とは?変わることもあるって本当?【「性的嗜好」じゃない!】
性的指向とは、広い意味では「どんな性の人を好きになるか」、狭い意味では「どんな性の人に性的魅力を感じるか」です。
LGBTについての話題でよく耳にするのが、「性的指向」という言葉。先日発売された『新潮45』にて、文芸評論家の小川榮太郎氏が「LGBTは性的嗜好である」と持論を展開したことが物議を醸しました(というより、今もなお議論となっている最中です)。
でも実際、「性的指向」ってどういう意味で、「性的嗜好」と何が違うのでしょう。
そこで、わかるようでわからないこの2つの違いを知るために、今回のコラムでは、「性的指向」について解説します。
性的指向とは?
性的指向とは、広い意味では「どんな性を好きになるか」を指します。
でも、どんな性を好きになるか、なんて言われたところでいまいちピンときません。なので、例を挙げましょう。
例えば、「自分は男性が好き」という人は、「性的指向が男性に向いている」と言えます。
また、「自分は女性が好き」という人は、「性的指向が女性に向いている」と言えます。
ただここで注意しなくてはならないのは、その「性的指向が〇〇に向いている」の〇〇の部分は、相手の性自認(自身の性をどのように認識しているか)によって判断されるということです。
「戸籍上は男性だが、性自認は女性」の人が好き、という場合は「性的指向が女性に向いて」いますし、「戸籍上は女性だが、性自認は男性」の人が好き、という場合は「性的指向が男性に向いている」のです。
「……頭がこんがらがってきた!」
という方のために、シンプルに言いますと、
「自身を女性だと認識している人のことが好き」=「性的指向が女性に向いている」
「自身を男性だと認識している人のことが好き」=「性的指向が男性に向いている」
となるわけです。
- 自分のことを男性(女性)と認識しており、性的指向が女性(男性)に向いている……ヘテロセクシュアル
- 自分のことを女性と認識しており、性的指向が女性に向いている……レズビアン
- 自分のことを男性と認識しており、性的指向が男性に向いている……ゲイ
となるわけですね。
ちなみにこれは、人の性を、「戸籍上の性」ではなく「自認している性」のもと捉えるべきである、という考えによるものです。性について語る際に本人の自認を尊重することは、WHOが示す基準をはじめ、世界で浸透しつつあります。
※狭い意味では「性的指向=どんな性に性的な感情が向くか」として使われます。その場合、「どんな性に恋愛感情を抱くか」は「恋愛指向」として「性的指向」と区別されます。
性的指向は、男性か女性のどちらかにしか向かない?
ここまで読んだ方の中には、
「なるほど、男女どちらの性別を好きになるか、ってことか!」
とおもった方もいらっしゃるのではないでしょうか。
でも、それはちょっと違うんです。何が違うんでしょうか?
インテリ芸能人として知られるメイプル超合金のカズレーザーさんをはじめとして、世の中にはバイセクシュアル(両性愛)というセクシュアリティが存在します。
バイセクシュアルとは、
「自身を女性だと認識している人、自身を男性だと認識している人のどちらも好き」=「性的指向が女性にも男性にも向いている」セクシュアリティを指します。
「好きになるにあたり、性をそもそも条件としない」という方もいらっしゃいます。そういった方はパンセクシュアル(全性愛)であると言えます。
また、性は男/女の二元論では説明できません。自身を「男性でも女性でもない」と認識している方もいれば、「男性と女性の間である」とする方もいます。こういった方に向く性的指向は、男女二元論に基づくと説明できなくなってしまいますよね。
性的指向は、男性か女性のどちらかにしか向かないわけではないんです!
ちなみに、LGBTのTはトランスジェンダーを表すのですが、これは広義には自身の性自認と戸籍上の性別が異なったり、異性装を好むというセクシュアリティであり、性的指向の話とは論点が若干異なってきます。
性的嗜好とは何が違う?
では、冒頭の話に少し戻ります。性的指向について今まで説明してきましたが、文芸評論家の小川氏の言っていた、「性的嗜好」とはいったい何なのでしょうか。
今まで話してきたように、性的指向は、「どの性を好きになるか」です。
それに対し、性的嗜好は、「何に対して性的興奮を覚えるか」です。
何に対して、というとわかりづらいかもしれませんが、「○○フェチ」といった表現はテレビやインターネットで目にする機会も多いのではないでしょうか。
また、性的指向は必ずしも性的興奮と結びつくわけではありません。あくまで「好きになる」だけですので、必ずしも性的興奮を伴うとは限らないのです。
しかし、小川氏はここにおいても違和感のある発言をしています。以下、『新潮45』10月号より抜粋です。
LGBTの生き難さは後ろめたさ以上のものなのだというなら、SMAGの人達もまた生きづらかろう。SMAGとは何か。サドとマゾとお尻フェチ(Ass fetish)と痴漢(groper)を指す。私の造語だ。ふざけるなという奴がいたら許さない。LGBTも私のような伝統保守主義者から言わせれば充分ふざけた概念だからである。
彼は痴漢とその他性的嗜好を同列のものとしています。さらに、
彼らの触る権利を社会は保障すべきでないのか。触られる女のショックを思えというか。それならLGBT様が論壇の大通りを歩いている風景は私には死ぬほどショックだ、精神的苦痛の巨額の賠償金を払ってから口を利いてくれと言っておく。
痴漢と性的指向を同様のものと扱っています。
ですが、痴漢は相手の合意を得ない人権侵害です。これを「どの性を好きになるか」と一緒のものとして扱うのは、少々乱暴な議論になるのではないでしょうか。
性的指向と性的嗜好に優劣があるなどというわけでは、もちろんありません。しかし、人権侵害とそのほかのものを同様のものとしてはならないでしょう。
変わることもある性的指向~先天的とは限らない!~
性的指向の話になると、よく出てくるのが「性的指向は生まれつきのものだからしょうがない」という意見です。こういった意見は、LGBTの権利を守るために用いられることがあるのですが、実はこの認識、ちょっと違うんです。
もちろん、生まれてからずっと女性が好き、という男性もいれば、生まれてからずっと男性が好き、という男性もいるでしょう。
しかし、「以前までは女性が好きだったけど、今は男性が好き」という男性だっていますし、「以前までは男性が好きだったけど、今は男性も女性も好き」という女性もいます。
これを書いている私自身、以前は女性が好きでしたが、今は好きになる相手に性を条件としないパンセクシュアルを自認しています。
性的指向をはじめ、性にまつわることがらは流動的なものであるということはあまり知られていませんが、自分の周囲にいる人を傷つけないためにも知っておいて損はありません!
おわりに
いかがだったでしょうか。性的嗜好とは何か、性的指向と性的嗜好の違い、性的指向は流動的であるということ……もしかしたら、普段生活するうえで、あまり意識することがないかもしれません。
でもこれを知っておけば、もしあなたの身近な方が性的指向に悩んでいても、知らず知らずのうちに傷つけることはないでしょう。
この記事が、あなたとあなたの身近な方が「自分らしく」生きやすくなるきっかけになったら幸いです。